東泉寺

芭蕉山 東泉寺
ばしょうざん とうせんじ

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【所在地】

藤枝市平島179

【開創】

正保2年(1645)4月14日

【宗派】

曹洞宗 藤枝市 宗乗寺末

【本尊】

地蔵菩薩

【由緒縁起】

 東泉寺は宗乗寺四世行寂宗順の弟子士桂洞達が、平島村の人々の協力を得て堂宇を建立し、師の宗順を開山に拝請し「馬上山東泉寺」と名づけて、正保2年(1645)4月14日開創された。この山号寺号については、東泉寺の横に「馬上の清水」と呼ばれている徳川家康ゆかりの泉からとったという。家康は慶長10年(1605)駿府城に隠居したが、鷹狩りのためしばしば田中城に立寄った。ある時この平島の地を通り過ぎた折、のどが渇き、馬上から水を求めた。従者が道端の井戸の水を献上したところ、大変うまい。家康は「甘泉飲むべし」と喜んだ。そこで家康が馬上で飲んだことから「馬上の泉」と名付けられたという。家康は元和元年(1615)田中城に来て鯛のテンプラを食べすぎて床につき、翌年4月17日死んだのは有名な話であるが、地元では馬上の泉の話が知られていて、その故事から山号と寺号がつけられた。
 文政年中(1818~1829)、伊豆出身の洪貴俊丈が老朽化した諸堂を改修し、その時山号を「芭蕉山」と改めた。安政元年(1854)の大地震では、田中城や城下町でも大きな被害に遭ったが、東泉寺も本堂が倒壊した。しばらく仮の堂字であったが、明治30年7月夏目泰山の代に新築し、さらに明治41年寺格を法地に上げた。泰山の親戚夏目宗吾が法地起立や本堂再建に尽力した功績により、中興開基となっている。昭和3年、前島の青地雄太郎家の門を譲り受け、山門とした。その後昭和48年、法嶽俊隆の代に本堂・庫裡・位牌堂の諸堂悉く新築し、現在に至っている。
 


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