了善寺

光明山 悟真院 了善寺
こうみょうざん ごしんいん りょうぜんじ

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【所在地】

藤枝市天王町1-4-1

【開創】

文明18年(1486)

【宗派】

浄土宗 京都 知恩院末

【本尊】

阿弥陀如来

【由緒縁起】

  寺伝によると、了善寺は文明18年(1486)遠江国見崎の海中から発見された善導大師の像が縁で開創されたという。善導大師(613~681)は、中国唐代の僧で、曇鸞、道綽と続いた浄土教を大成した高僧で、日本でも浄土系の宗派では善導大師を尊崇している。海中より発見されたこの尊像を貞誉がこの地に祀り、信徒により浄財を集め、堂宇を建立し、光明山了善寺が開創された。
 以後了善寺は法然上人の浄土宗の拠点として養命寺等六ケ寺の末寺を持ち発展した。天和2年(1682)14世霊誉寛空南廓上人は老朽化した堂字を再建し阿弥陀如来を本尊とし旧本尊の善導大師は善導堂を建立して祀った。その後宝暦5年(1755)火災にあい、伽藍とともに貴重な仏具や古記録を焼失したが、宝暦12年、15世来誉舜哲上人が本堂を再建した。享保13年(1728)17世忍誉生阿上人は境内に「悟真舎」と呼ばれる別堂を建立、中には地蔵菩薩と閣魔王が安置され、地域の人々には閣魔堂と呼ばれ親しまれている。山門は田中城の裏門と言われ、大修理をして現在も参拝者を見守っている。幕末安政の大地震で被害を受けたが明治になって復旧した。さらに大正時代には二度も災にあったが、昭和7年本堂の再建を果たした。了善寺は何度も災難にあいながら、その度に檀信徒の厚い信仰心に支えられ5百余年間浄土宗の法灯を境内の槙の巨木とともに守り続けている。


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