養命寺

池龍山 養命寺
ちりゅうざん ようめいじ

文字サイズ

  • 小
  • 中
  • 大

【所在地】

藤枝市本町3-6-35

【開創】

大永3年(1523)

【宗派】

浄土宗

【本尊】

阿弥陀如来

【由緒縁起】

 養命寺は藤枝宿大手口近く、江戸時代には、問屋場が門前にあり、現在でもまわりは商店に囲まれている。が、一歩裏通りに入ると静かな住宅街である。
 大永3年(1523)小田市郎兵衛という在家の信者が、土地と浄財を布施して一宇を建立し、小田家先祖の菩提のため春誉を開山として開創されたのが、この養命寺である。戦国争乱の時代から江戸初期にかけて寺運は一時衰退したが、7代目深誉が元禄13年(1700)堂字を再建し、寺運も盛んになった。享保17年(1733)火災にあい諸堂を焼失し、九代淳誉が安永二年(1773)再建した。
 養命寺の境内には地蔵堂が2つもある。1つは山門脇にあり延宝2年(1674)6代信誉の時に創建されたもので、もう1つは門内にあり、文政4年(1821)禅誉が建立したもので、「楊櫨木地蔵」と呼ばれている。地蔵菩薩は街道端や門前、土手など身近な所に祀られ親しまれて来た仏様であるから、東海道を上下する旅人も養命寺の門前で立ち止まり、気軽に手をあわせ拝んだことであろう。
 また、境内には銀杏の大木があり、そのまわりに3っの石碑がある。いずれも藤枝に関する人の碑で、1つは幕末に活躍した俳人、田中藩士西郷小市(完梁)「辻駕や枯野の夢のさめ心」の句碑である。中央の碑は田中藩馬術指南役仙田五太夫の碑、3つめは、左車出身で明治推新前後に活躍した長唄師匠杵屋正太郎の辞世の「三味線の三すぢの外の四をひくはわがもちまへのせんきすじなり」の歌碑である。


閉じる