寶國寺

法林山 寶國寺
ほうりんざん ほうこくじ

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【所在地】

藤枝市本町1-1-17

【開創】

天文2年(1533)

【宗派】

浄土宗 鎮西派 藤枝市 了善寺末

【本尊】

阿弥陀如来

【由緒縁起】

 法林山寶國寺は現在でも了善寺の末寺として存在するが、本堂などは残っていない。現在では藤田家が管理しているが現存しているのは、興津の清見寺などにもある「後生車」と歴代住職の墓所である。後生車とは、仏教では衆生が生死を繰り返して、迷いの世界を巡ることを「輪廻」と教え、やがて誰もあの世へ巡る(能の「葵の上」 にも、凡そ輪廻は、車の輪の如く……とある中で、人々は後生車を廻し、現世の罪業を反省し、後生を頼み、たとえ今不幸でも、来世は極楽にと願って廻すものである。
 小宮山文書宿方明細に、法林山宝国寺は、長楽寺町内で、五十海地内にあり、江戸より右の方、白子町了善寺の末寺で、御除地は2石、3百余坪とあり。藤枝町史には、除地1石、百58坪、天文2年(1533)清誉が、本寺了善寺の開山貞誉の遺志で、本尊阿弥陀如来を受け開創、貞京3年焼失。元禄4年七代深誉本堂再建とある。 又、境内は竹林構えで、小木等もあり、門は四つ柱で、石地蔵さんの形をした仏さんの座像の下に木車があって、これは「後生車」との申伝えに御座候とある。車と軸は堅い樫の木のようで、これが石柱をくりぬいて装置されている。車にも、石柱にも、経文や仏語が刻まれている。幼くして世を去った童男こ童女の戒名が列記されていたり、順礼とか、南無阿弥陀仏の名号も見える。一番はっきりしている文字は、多分この後生車の出来た時かもしれない。「享保4年(1719) 巳年、7月16日」 で今から2百70年前、8代将軍吉宗の頃のものである。後生車は2つあって、串の上の石仏は御不動さんにしては御顔が穏やかであるが、2体とも右手に剣、左手には弓を持っているものと、索縄を持っているものがあって、共に人の後生を護ってくれているようだ。このような車が今に残り、近所の方々も大切にしておらることは心がなごむ。清見寺の後生串は有名な五百羅漢たちの傍らと、下の方にもう1つ。車は石で重く、これに一心頂礼、五百羅漢と彫られ、石仏は無く、旋主は助郷となっている。傍らの説明は記す「現世に於て犯したもろもろの悪業を、この事を廻しながら、懐悔して後生の善所を願う車」と。


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