【由緒縁起】
萬照寺は志太地区で最も新しく、昭和五一年に開創された尼僧寺院である。縁濃き山を背にした尼僧寺院らしい清楚な気品を持った寺である。
萬照寺開創の由来は、現住職秋元大俊尼和尚の深い信仰心によるものである。戦後まもない昭和二十年代、大俊師の弟輪之助氏が重い肺炎にかかったが、薬も無くて命が危ない状態に陥った。そこで川崎市同地の法雲寺の住職にお願いして毎日『白衣観音経』をお唱えしてもらい病気平癒を祈り続けてもらった。するとあれほど重病だった輪之助さんが少しずつ快方にむかった。その上、敗戦当時の日本では入手がとても困難だった特効薬のペニシリンが不思議な因縁で手に入り、すっかりなおることができた。法雲寺の庵主さんは、福井県小浜の発心寺の原田祖岳老師の門下生であったが、祖岳老師は常に『白衣観音経』のありがたい功徳を提唱してくれたので、その有難さを箕輪家の家族一同にも説き聞かせてくれた。また輪之助さんの平癒以外にも数々の霊験をいただいた。
そこで大俊師は昭和二五年、この仏恩に報いるため髪をおろし仏門に入った。そしていつか縁が熟したら白衣観音様をお祀りできる堂字を建立したいという悲願を抱き、小浜市の発心寺等の禅堂で修行に励んだ。
悲願を抱いて二十余年すぎた昭和五一年、縁に導かれてこの藤枝の地に堂字を建立することになった。気候も温暖であるし、裏山からは古い地蔵菩薩が発見され、こここそ仏縁の加護があろうということでこの地を選んだ。浄財は大俊師の実父箕輪佐助が喜捨してくれて、本堂と庫裡を建立した。白衣観世音菩薩を本尊に祀り、大俊師の本師である富山県高岡市東漸院雲外閑林大和尚を勧請して開山とし、宝鏡山高照寺が開創された。
萬照寺という寺名は、本尊の白衣観音様の威光がすべてを照らしこの世を明るくしてくれるようにという願いをこめて命名した。また山号の宝鏡山は、大俊師が坐禅中『宝鏡三昧』というお経の名に感応してつけた。
創建されて二十余年、萬照寺は檀家や寺の財産もなく有名な寺ではないが、写経や梅花講等の地に根ざした活動を通して、白衣観音様への確かな信仰の灯を守っている。
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