西光寺

東門山 西光寺
とうもんざん さいこうじ

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【所在地】

藤枝市藤枝3-10-37

【開創】

草創 不詳 真言宗寺院

【宗派】

浄土宗 鎮西派 智恩院末

【本尊】

阿弥陀如来

【由緒縁起】

 西光寺は浄土宗になる前は真言宗の寺院であったという。場所も現在の市内ではなく、瀬戸川西岸瀬古の獅子ヶ鼻山の山上、西光寺平にあった。この真言宗寺院を永享元年(1429)宝誉が浄土宗寺院として再興した。その後文安年間(1444~1448)青島村の渡辺孫次右衛門という人が、3夜続けて西光寺の移転を薦める夢を見たことによって、現在地へ移転した。その後発展を遂げ、江戸時代には栄竜院、立信院、正明院の塔頭三院を持ち、末寺も原西運寺以下七ケ寺を有するようになった。その後幕末安政4年5月(1857)に起こった地震と火災により堂宇のすべてを焼失したが、56代徳苗はただちに檀信徒から浄財の喜捨を募り、同年12月客殿造りの庫裡を建立し、62代謙承は明治42年(1909)7月立派な本堂を再建した。
7ヶ寺あった末寺のうち、志太九景寺は存続しているが、木町の地蔵院等の六ケ寺は明治維新以後に廃寺または独立寺院となった。しかし木町の地蔵院に建立された庚申堂はこの地区の庚申信仰のメッカであり、多くの参詣者があったため残され、昭和53年にも改修し、「木町の庚申さん」と呼ばれて親しまれている。この庚申様は西光寺39世芳誉が江戸時代になって盛んになった庚申信仰を受けて、自ら像を彫り上げ、本堂に祀っていた。明治34年西光寺63世謙承は、近郷近在の庚申議員からの浄財を集め、現在の庚申堂を建立した。境内にはいくつかの庚申塔があり、特に天和3年(1683)の銘を持つ庚申塔は、藤枝地区では最も古いものだという。


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