西運寺

松林山 西運寺
しょうりんざん さいうんじ

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【所在地】

藤枝市音羽町3-17-9

【開創】

天文元年(1533)9月

【宗派】

浄土宗 鎮西派 藤枝市 西光寺末

【本尊】

阿弥陀如来

【由緒縁起】

 西運寺はその名が示唆しているように、西方浄土の阿弥陀如来を本尊とする浄土宗寺院である。天文元年(1532)本寺西光寺四世頓誉上人が原村の郷士伊久美孫右衛門の援助を受けて開創したのが始まりである。開基伊久美孫右衛門は「伊久美家記」(伊久美家四代目小吉直勝著)によると、その先祖は島田の伊久美の出身で代々今川家に仕え、稲葉の領地を賜わった。その後道坡入道(伊久美那妓四郎義幹)と道坡の二男孫六(伊久美平左衛門直住)の親子が、原野であった原の地を開墾して余生を送り、先祖の菩提の為に小庵を建てたのが西運寺の始まりだという。この道坡入道というのは今川義元に仕え、氏真になってから武士をやめたともいう。開基の伊久美孫右衛門が道場入道とも考えられるが、西光寺が火災に遭ったとき預けおいた西運寺の古記録が焼失したため詳しいことは不明である。
 慶長年間(1596~1614)明誉文光の時本堂を再建し、さらに2百年後の文化元年(1804)8月、32世霊誉伯瑞の時に再興した。西運寺は西光寺の末寺として小寺であったため、無住となり荒れたこの末寺として小寺であったため、無住となり荒れたこともあったという。
 近代に入り昭和49年檀信徒の熱意と本寺西光寺の理解によって西運寺は本寺より独立し、責任を持って宗教行事を行うようになった。この独立により寺と檀信徒の杵が強まり、昭和59年堂宇再建の機運が高まり5年の歳月をかけ、平成5年5月14日本堂・庫裡・書院の落慶式を行い、面目を一新した。西運寺は法然上人の浄土宗の教えをもとに、御忌法要、万灯供養、子供一泊修養会等の行事を通じて檀信徒に仏性の種を植え育てている。


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