観音寺

普門山 観音寺
ふもんざん かんのんじ

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【所在地】

藤枝市下当間1099

【開創】

文禄2年(1593)

【宗派】

曹洞宗 岡部町 梅林院末

【本尊】

聖観世音菩薩

【由緒縁起】

戦国時代の争乱も大詰を迎えた文禄2年(1593)、普門山観音寺は、寺名のとおり聖観世音菩薩を本尊仏として開創された。この当時駿河国は今川氏は滅び、豊臣家の家臣中村一氏が支配していた。この本尊仏は今川家の旧臣であり、今川没後この地に蟄居していた安達家十四代盛宗が先祖から受け継いでいた念持仏である。安達家初代の安達藤九郎盛長は、源頼朝が伊豆で旗上げをした時からの七騎の家臣の一人である。頼朝が石橋山の戦いに敗れた時、石橋山に祀られていた観音菩薩を安達盛長が譲り受け、安達家の守本尊として大切にして来た。後、北条高時に仕えたが新田義貞と戦い、利あらずして敗れると、駿河国に居住し今川家に仕えた。今川没落により主君を失うや13代盛孝は武士をやめ、この下当間村に住みついた。天正18年(1590)盛孝が病死すると、嫡子盛宗は、受け継がれて来た観音菩薩を安置する堂字を村人の協力を得て建立し、梅林院人世囲洲舜光を開山に仰ぎ、普門山観音寺を開創した。この観音様は由緒ある本尊様であるから、里人だけでなく近隣からの参詣者も多く、人々から「当間の観音様」と呼ばれ、篤く信仰され、大切に守られてきた。駿河33観音霊場の9番札所として、今でも観光バスの団参がある。
 昭和60年10月2目、33年ぶりの開帳の折、この仏像を調査したところ、観音様の中から鉢内仏が発見された。記録は発見されなかったので製作年代等は不明であるが、珍しい鉢内仏の存在そのものが、この仏様の由緒深さを一段と高め、現在の安達家の当主をはじめ、住職信徒ともども感慨を新たにした。


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