藤枝

飽波神社 (川関大明神) 藤枝
あくなみじんじゃ (かわせきだいみょうじん)

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【鎮座地】

藤枝市藤枝5丁目15-36

【創立年月日】

仁徳天皇6年(318)10月

【例祭日】

10月第1土、日、月

【祭神】

少彦名命 (すくなひこなのみこと) 相殿 瀬織津姫命 (せおりつひめのみこと) 蛭子命 (ひるこのみこと) 天忍穂耳命 (あめのおしほみみのみこと)

【由緒】

延喜式内社 仁徳天皇6年戊寅10月創建。飽波郷に鎮座したので飽波神社と称したという。正徳5乙未年造建の棟札に飽波神社川瀬岐大明神とあり、この神社はその名の如く水との緑が深く、昔は山麓のくぼみの石のまわりから清らかな水がこんこんと湧き出で、諸病に霊験があったという。泉の真中に丸いすべすべした石があり、湧水の上では小石がおどっていたという。その泉を湧波の池とも湧玉の池とも称したと伝えられている。その泉は現存しないが、昭和49年社務所建設と同時に境内に氏子の奉納による池が作られ、湧波の池と命名せられた。この神社は中古飽波井神社とか湧波神社と称せられたが、明治元年8月当初の飽波神社を称することになった。金山神社と七ツ森神社が境内社として鎮座している。
 昔は境内も広く社領も多かったが、永録、元亀の合戦の際、武田の兵が乱入し、兵火のため社殿、旧記等を焼失した。神官の曽根彦八家定が、御神体を守護潜在し、乱が治った後、小祠を岡出山々下に建て、正徳五年 今の所に社殿を再建したと伝えられる。(棟札現存す)
 昔からこの神社の土をいただいて祀ると水害の難から守られるという信仰があり、昭和49年7月の大豪雨の時も、幾人かの人が土をいただいて帰った。
 旧除地高三石四斗、明治6年3月に郷社に列せられ、同40年6月21日幣帛供進社に指定された。特殊神事 神輿渡御に際し、併奉(くぶ)に当る少年の武者行列、女子の稚児行列がある。又3年毎の大祭には十数台の山車(だし)が出てそれぞれに芸能を奉納し、旧藤枝の町は大いに賑わう。特に義太夫による地踊りに特色がある。また、6月30日の大祓式は当日夜行われ、茅の輪くぐりと、氏子が奉納するちょうちんに灯がともされて社頭は賑わう。


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