藤枝にまつわるイベントをご紹介します。

成田山 節分会

■日付:2月3日

■種類:成田山


 藤枝成田山の節分会は、午前11時より星祭の大護摩のご祈祷があり、豆まきは午前・午後・ 夕方・夜の4回に分けて行なわれます。自分の厄を祓い参拝者に福を播く神事として豆をまきたい方は、各豆まき開始時間の少し前に藤枝成田山へ申し出てください。

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清水寺の縁日

■日付:2月第3日曜日前後3日間

■種類:清水寺


 清水寺の縁日は2月の第3日曜日を中心として行われます。(2月第3日曜日前後3日間)この縁日は、富士市の毘沙門天、浜松の鴨江観音とともに、県下三大縁日のひとつに数えられ、厄除けを願う人々で賑わいます。

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春彼岸

■日付:春分の日の前後3日間3月21日近辺

■種類:仏教


 「彼岸」はサンスクリット語の「波羅密多」から来たものといわれ、煩悩と迷いの世界である【此岸(しがん)】にある者が、「六波羅蜜」(ろくはらみつ)の修行をする事で「悟りの世界」すなわち【「彼岸」(ひがん)】の境地へ到達することが出来るというものです。

 彼岸会法要は日本独自のものであり、現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多くみられます。
浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられています(西方浄土ともいう)。春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりです。もとはシルクロードを経て伝わった、生を終えた後の世界を願う考え方に基づいています。心に極楽浄土を思い描き浄土に生まれ変われることを願ったもの(念仏)と理解されているようです。

 最初は、天皇の詔として始められた行事でしたが、いつの時代も人として、生を終えた後の世界への関心の高いことは同じであり、いつの間にか生を終えていった祖先を供養する行事として定着するに至りました。

 彼岸会の「彼岸」は、「日願(ひがん)」から来ているとも言えます。日本に限らず古来から、太陽や祖霊信仰は原始宗教の頃からつきものなのです。

 太陽が真東から上がって、真西に沈み昼と夜の長さが同じになる春分の日と秋分の日を挟んだ前後3日の計7日間を「彼岸」と呼び、この期間に仏様の供養をする事で極楽浄土へ行くことが出来ると考えられていたのです。それぞれの初日を「彼岸の入り」終日を「彼岸のあけ」といい春分の日、秋分の日を「お中日」といいます。
お彼岸を迎える時には、

  • ●お仏壇、仏具の掃除
  • ●お墓の掃除
  • ●供花やお供え

を行います。お供えには、果物・菓子などの他、精進料理をお供えします。

  • ・春は牡丹の花にちなんで牡丹餅と言います。
  • ・秋は萩の花にちなんでおはぎと言います。

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花祭り

■日付:4月8日

■種類:仏教


 花祭りとは灌仏会(かんぶつえ)のことであり、お釈迦様の誕生を祝う仏教行事である。日本では原則として毎年4月8日に行われる。 釈迦(ゴータマ・シッダッタ)が旧暦の4月8日に生まれたという伝承に基づく。降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)、花会式(はなえしき)、花祭(はなまつり)の別名もある。

 日本では、様々な草花で飾った花御堂(はなみどう)を作って、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たす。誕生仏の像をその中央に安置し、柄杓で像に甘茶をかけて祝う。甘茶をかけるのは、釈迦の誕生時、産湯を使わせるために9つの竜が天から清浄の水を注いだとの伝説に由来する。宗派に関係なくどの寺院でも行い、甘茶は参拝者にもふるまわれ、甘茶で習字をすれば上達すると言われたり、害虫よけのまじないを作ったりもする。なお、「花まつり」の名称は明治時代にグレゴリオ暦が導入され、灌仏会の日付の読み替えが行われた後の4月8日が、関東地方以西で丁度桜が満開になる頃である事から浄土宗で採用された呼称で、それ以来、宗派を問わず灌仏会の代名詞として用いられている。お寺が経営している幼稚園や保育園では、こちらの名称の方がよく知られている。子どもたちにとっては、甘茶をいただく日。又、稚児行列を出す寺も多い。仏教系の学校でも行う場合が多い。

 藤枝では白象車と稚児行列が祝賀パレードを行う。

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おてんのうさんのお祭り

■日付:7月第3日曜日

■種類:八坂神社


 天王町の八坂神社のことをおてんのうさんと言い、そこのお祭りです。例祭日は7月20日と決まっていましたが、子供たちが祭りに参加しやすいように毎年七月の第三日曜日に行っている。藤枝の14地区に「郡」「藤岡」を加えた16地区が御神輿を担いで参拝します。子供神輿行列は初日は各町内を周り、二日目に上伝馬の神明神社(おしんめいさん)に参拝し、三日目に左車の愛宕神社に参拝した後で八坂神社に参拝します。

 夜は八坂神社の参道から大手の交差点までが歩行者天国となり、露店が並びます。そこを中学生の担ぐ子供神輿が練り歩きます。以前は花火大会も行われていましたが、現在はやっていません。

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おしんめいさんのお祭り

■日付:7月第3土曜日

■種類:神明神社


 例祭は八坂神社(おてんのうさん)のお祭りと同時期に行われます。子供神輿(中学生)と小学生以下の行列が各町内毎神社を訪れる。例祭日は7月19日と決まっていましたが、八坂神社と同様に子供たちが参加しやすいように7月の第三土曜日に行われています。「八坂神社」、「愛宕神社」、「左車神社」とともに子供神輿が参拝します。

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施食会

■日付:7月~8月

■種類:仏教


 施食会とは、伝統的に施餓鬼会(せがきえ) またはお施餓鬼(おせがき)ともいい、読経、回向によって、餓鬼の苦しみから脱する為の法要です。縁がある方々が集い、修行することが施食会であり、同時に自分自身に与えられた生命に感謝をし、長寿を願う意味もあります。先祖供養と誤解されがちですが、先祖のみならず、すべての生きとし生けるものへの供養の法要です。

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お盆

■日付:7月15日、8月15日

■種類:神道、仏教


 お盆(おぼん)は、太陰太陽暦である和暦(天保暦など旧暦という)の7月15日を中心に日本で行なわれる祖先の霊を祀る一連の行事です。一般に仏教の行事と認識されていますが、仏教の教義で説明できない部分も多くあります。古神道における先祖供養の儀式や神事を江戸幕府が庶民に強いた檀家制度により仏教式で行う事も強制し、仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形が出来たとされています。

 今から50年くらい前までは、伝統的にお盆の期間は7月13日〜15日でした。しかし、明治以降の新暦が一般化してきたため、暦がずれて8月13日〜15日がこの期間に該当する事になりました。日本では、地域によって7月13日〜15日をお盆とするところ(関東・静岡など)と、8月13日〜15日とするところ(近畿・東海など)があり、8月をお盆とするのを「月遅れの盆」といいます。

 亡くなったご先祖様がこの期間、地上に戻ってこられると考えられています。13日の夕方に天国から来られ、15日の夕方に戻られますので、地上の私たちは、その間のお世話をする事になります。(16日早朝に戻られると考える地区もあります)お盆の前までは、迎え火と言って家の前で火を焚き、ご先祖様が道に迷わないようにします。(地域によってはお墓までお迎えに行く迎え火の風習があるところもあります。)そしてご先祖様がお帰りになる日には送り火を行います。(地域によっては川へ送る風習があるところもあり、灯篭流しが行われています。)

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鬼岩寺の花火大会

■日付:8月20日

■種類:鬼岩寺


 鬼岩寺の花火大会は毎年8月20日に行われています。花火は地元の寄付やお布施で上げられ、境内には沢山の参拝者と、花火を見る人、沢山の露店が並びます。中央小学校跡地のグランドでは、地元による盆踊りも行われ。毎年賑やかに行われます。

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秋彼岸

■日付:秋分の日の前後3日間(9月20日近辺)

■種類:仏教


 「彼岸」はサンスクリット語の「波羅密多」から来たものといわれ、煩悩と迷いの世界である【此岸(しがん)】にある者が、「六波羅蜜」(ろくはらみつ)の修行をする事で「悟りの世界」すなわち【「彼岸」(ひがん)】の境地へ到達することが出来るというものです。

 彼岸会法要は日本独自のものであり、現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多くみられます。
浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられています(西方浄土ともいう)。春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりです。もとはシルクロードを経て伝わった、生を終えた後の世界を願う考え方に基づいています。心に極楽浄土を思い描き浄土に生まれ変われることを願ったもの(念仏)と理解されているようです。

 最初は、天皇の詔として始められた行事でしたが、いつの時代も人として、生を終えた後の世界への関心の高いことは同じであり、いつの間にか生を終えていった祖先を供養する行事として定着するに至りました。

 彼岸会の「彼岸」は、「日願(ひがん)」から来ているとも言えます。日本に限らず古来から、太陽や祖霊信仰は原始宗教の頃からつきものなのです。

 太陽が真東から上がって、真西に沈み昼と夜の長さが同じになる春分の日と秋分の日を挟んだ前後3日の計7日間を「彼岸」と呼び、この期間に仏様の供養をする事で極楽浄土へ行くことが出来ると考えられていたのです。それぞれの初日を「彼岸の入り」終日を「彼岸のあけ」といい春分の日、秋分の日を「お中日」といいます。
お彼岸を迎える時には、

  • ●お仏壇、仏具の掃除
  • ●お墓の掃除
  • ●供花やお供え

を行います。お供えには、果物・菓子などの他、精進料理をお供えします。

  • ・春は牡丹の花にちなんで牡丹餅と言います。
  • ・秋は萩の花にちなんでおはぎと言います。

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藤枝大祭

■日付:10月初めの週末(3年に一度)

■種類:飽波神社


 江戸時代、田中城の鬼門を守る青山八幡宮の大祭に、藤枝宿の屋台が神興披露の行列に付き従ったのが始まりです。
万延元年(1860年)の「川原町岩崎家文書」によれば、青山八幡宮大祭の最終日には、田中城内に屋台が入り、藩主や藩士に披露されたことがわかります。

 これが明治4年(1871年)に出された廃藩置県令で、田中藩が解体され、藤枝宿の総社飽波神社(延喜式内社)大祭にこの屋台の曳き回しが移行されました。飽波神社大祭は、寅・巳・申・亥の年に施行されます。現在ではこの大祭を「藤枝大祭り」と呼んでいます。
明治時代までは、写真のような江戸でもっとも発展した「三層高欄型山車」と、唐破風屋根に踊り舞台を備える「踊り屋台」とが結合する独自な山車屋台でした。これが、文明開化の象徴でもある電線と電話線の敷設により、三層高欄部分がどうしても電線と電話線にかかってしまうため、やむなく踊り屋台(幕引き屋台)のみの形態にかわりました。
それまでは、山車の上に飾る人形(ネリ物)を競いあい、そのネリ物に合わせての手踊りが披露されていました。この手踊りは屋台の舞台での上踊りと、地面での地踊りに別れていました。三層高欄の部分がなくなると、ネリ物の競い合いにあわせての手踊りも下火になりかけたのですが、大正5年(1916年)に、左車出身の六世芳村伊十郎(長唄家元)を迎え、現在のような長唄による地踊り披露と言う形態が整えられました。

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お十夜

■日付:10月~11月

■種類:浄土宗寺院


 10月から11月にかけて全国の浄土宗寺院でひろく行われる念仏会 (ねんぶつえ) です。「お十夜」「十夜法要」「十夜講」「十夜念仏」などともいい、正しくは、「十日 十夜 (じゅうや) 法要」といいます。もともとは陰暦の10月5日の夜から15日の朝まで、10日10夜にわたる 法会 (ほうえ) でした。

 この法会は、浄土宗で最も大切な経典(きょうてん)の一つ『 無量寿経 (むりょうじゅきょう) 』の巻下に、 「この世において十日十夜の間善行を行うことは、仏の国で千年間善行をすることよりも尊い」と説かれていることによって、その教えを実践したもので、10日10夜にわたり 不断 (ふだん) 念仏を称えて 別時 (べつじ) の念仏を修し、阿弥陀さまのお慈悲に感謝する法要であります。

 この法会が初めて営まれたのは、今から550年ほど前( 永享 (えいきょう) 年間) 、 伊勢守平貞経 (いせのかみたいらのさだつね) の弟 貞国 (さだくに) が、京都の天台宗の 真如堂 (しんにょどう) で修したのがその始まりとされています。その後、 明応 (めいおう) 4年(1495)に、現在浄土宗の大本山の一つになっている鎌倉光明寺の第九世 観誉祐崇上人 (かんよゆうそうしょうにん) が、後土御門(ごつちみかど)天皇に招かれ、宮中で、『 阿弥陀経 (あみだきょう) 』の講義をされ、さらに真如堂の僧といっしょに 引声 (いんぜい) 念仏を修し、 勅許 (ちょっきょ) を得て、光明寺で法要を行うようになりました。これが浄土宗でのお十夜の始まりで、今では浄土宗の大切な法要となっています。

 お十夜は、お念仏の尊さを知り、感謝の気持ちを込めてこれをお 称 (とな) えする大切な法会です。今日ではその期間も10日間から5日、3日、あるいは1日と短縮されて行われていますが、この大切な念仏会に参加し、仏の国での千年の善行にも勝る善行を、ぜひ積んでいただきたいものです。

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成田山の火渡り式

■日付:11月

■種類:成田山


燃え盛る護摩と般若心経の読経の中、火の上を裸足で渡ります。

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